第32回創立記念日

今日は、日本分析化学専門学校創立記念日で、授業は休講でした。
1981年10月に校舎(今の実験棟)が完成し、32年目を迎えます。

これまでに、約3000名の分析化学者を産業界へと送り出してきました。

『化学』という学問は、今でこそ確立された分野になっていますが、
化学が化学と言われる以前から、さまざまな先達たちが未開のものにチャレンジしたり、
苦闘・苦悩を繰り返してきた結果、今、私たちが豊かさを享受したり、
そのことを当然のように学生たちに伝授しています。

しかし、化学者の思いに触れ、建学の精神を再確認する上で、
今日の創立記念日は、大切な一日になりました。

化学の歴史、日本の歴史、本校の歴史に触れた、盛り沢山な一日を紹介致します。
まず、学校前からバスに乗って出発です。

竹田城跡(兵庫県朝来市和田山町

ここは化学とは直接関わりはありませんが、
行程の途中にある、今、注目のスポット。
日本のマチュピチュと言われる山城に向かい、中腹の駐車場から歩いて出発です。



196段の階段と坂を約20分登れば、石垣と山々のコラボレーションが絶景でした。

教職員皆、笑顔で集合写真を撮りました!

それにしても、こんな山の上に、昔の人はどうやってお城を建てたのでしょう。
想像を絶する苦労が浮かびます。

生野銀山兵庫県朝来市生野町

続いては、日本で最も古い鉱山の1つである生野銀山です。
教科書では「佐渡の金山、生野の銀山」と習いましたね。

生野銀山では、807年に初めて銀が出たと伝えられており、
その後、1542年に銀石が掘り出され、鉱山開坑の起源といわれてきました。
織田信長豊臣秀吉徳川家康らの時代には、政権の直轄地になったところで、
その後、1868年には日本発の官営鉱山(政府直轄)となり、
1973年に閉山となりました。

約1200年間、銀を採掘し
坑道の総延長は350km以上、深さは880mにまで達しています。
その中の様子を少し紹介します。


中の温度は、年中通して13℃で、肌寒さを感じました。
この独特の気温を利用して、お酒やワインを熟成させるための
貯蔵庫としても利用されていました。


写真の穴は、狸穴と呼ばれ人が一人通れるくらいの大きさです。
人が、実際に手で掘り進んだ穴です。


掘り出された鉱石は、写真のトロッコで運搬されます。
これは大正期に入ってからですが、
それまでは負子(おいこ)と呼ばれる人の手で運ばれていました。
そして、運搬された鉱石は地上へと運び出されます。

ここで取り出された鉱石1tから取れる銀の量は、わずか10g。
また、金であれば0.2g程度です。

こうして、取り出された銀の一部は、
大阪の造幣局へと運搬され、貨幣に鋳造されていました。
この造幣局が本校から徒歩2分圏内にあるのですから、ご縁を感じずにはおれません。

写真は、その時に用いられた大型精密天秤です。
ちなみに、本校も同時代の小さな精密天秤を所蔵しています。


キリンビアパーク神戸(兵庫県三田市)

麦芽とホップと水が味の決め手となるビール。
100年以上の歴史の中で、選び抜かれた高品質なものから
ビールが作られています。
写真左が、実際に使用されている麦芽で、写真右がホップです。

大麦を発芽させることから、ビール作りは始まり、
ホップやビール酵母を加え様々な工程を経て最終1か月〜2か月熟成させ、
日頃私達が口にするビールが完成します。

キリンラガービールの歴史は古く、約120年前から作られています。
最近では、様々な種類のビールが研究開発されていますが、
ビールだけでなく容器も進化しています。

ビール瓶は、その軽量化のため、ガラスの厚みを薄くして、
その上にセラミック加工が施されました。
写真は、従来のビール瓶と、軽量化されたビール瓶の重さを
比較している本校の校長です。

最後に、ビールや清涼飲料の試飲をさせていただきました。

今、私達がこうして美味しく頂いているビールですが、
1613年にイギリス船に積まれ、日本に上陸したものが、
最も古いとされています。

国内では、1853年に当時蘭学者であった川本幸民が、化学実験の一つとして、
ビールを醸造したと言われています。
また、川本幸民はビールだけでなく写真機や、
マッチを日本で初めて試作しました。
そして、これらの実績が認められ、
幕府の学問所の蘭学教授として招かれ、
活躍しました。

キリンビアパーク神戸から大阪へ帰る途中、
川本幸民の顕彰碑を見て参りました。
幸民は、この三田市の出身で、三田小学校の正門横に顕彰碑が建立されています。

こうして、人や社会や国の発展に貢献してきた化学者のおかげで、
今の化学技術が確立され、私達の生活が成り立ってきました。
また、創立32年を迎えた本校も、これまでに多くの教員が
学生指導にあたり、職員がそれを支えてきたことによって、
沢山の分析化学者を社会に送り出してきました。

そんな先人達の熱い思いを感じ、そのパワーをエネルギーに変えて、
明日からまた、授業や実験、就職指導を始めとする学生教育のために
全力を尽くしたいと思います!

by せんぱい